THE SOURCE誌のダディー・ヤンキーのインタビュー。HIP POP LOVERSに分かり易いインタビューになっている。

その中で彼は
ラキム、NWA、クール・G・ラップなど自分の通ってきたヒップ・ホップや
ボブ・マーリーからブジュなどのレゲエにレスペクトを表しつつ、それらと関わって来た現場である
プエルトリコや
ラテン・カルチャーがベースである事を語っている。
ちょっとびっくりしたのは、彼の本名はレイモンド・アジャラなのだけど、インタビューでこのファミリー・ネームがロイサのボンバを継承するあの
アジャラ一家とつながっているって話してること。

Hermanos Ayala
Bomba De Loiza"(2001)
父親のラモン・アジャラはアフロ系で"エル・ネグロ"のニックネームを持つボンゴセーロ(ボンゴ奏者)。この父親がロイサにつながっているのだ。一方母親はスペイン/白人系。そして「(俺は)この黒人系/白人系という2つの世界からのベストをもってるって訳だ」なーんて語ってる。
THE SOURCEがNYベースのヒップ・ホップ雑誌だなぁ、と思うのは記事の最初に
「レゲトンというヒップホップ、レゲエ、カリビアン・フロウのミックスした都市の音楽が生まれたのはプエルトリコ」だと迷い無く断言しているところ。
地元のラジオやクラブ・シーンの状況が普通に入ってくる為だけじゃなくて、NYの最大のラテン人口・プエルトリカンの「厚み」やNYとPRの関係が肌で分かっているのからだろう。

日本のヒップ・ホップ雑誌の紹介ではそうなかなか潔くはならない。プエルトリコを前に出しつつ、パナマのスパニッシュ・ラップ/レゲエやダンスホール、はてはクンビアまで「目配り」してるものまであったりして、おずおずと言う感じ。
ダディー・ヤンキーも、レゲトンはプエルトリコのストリートから生まれたものだと言っている訳だが、彼自身もVilla Kennedyのハウジング・プロジェクト/カセリオ出身のストリート・ボーイだ。
記憶が正しければビジャ・ケネディーはサンファンの西、リオ・オンドやレビタウン近くのバリオ。お上品な所じゃない。
インタビューでも彼のカセリオと隣のグループとの争いでAK-47からの弾丸を大腿部に打ち込まれた過去を披露している。得意の足を引きずるような歩き方のスタイルは、こんな過去から来ているそうだ。

彼は「ヒップ・ホップがストリートや”Hoods/Barrios”で生きること、学ぶことを表しているように、レゲトンもそうなんだ。」と言っているが、レゲトンは単にリズムでも単に魅力的なおね−ちゃんのPVでもない。
リズムを生んだヒップ・ホップ、レゲエ、そしてサルサやボンバやプレーナなどのプエルトリコの音楽、地元プエルトリコのキュートでセクシーなおねーちゃんのPVやタルイおにーちゃんの欲望、時には弾丸も飛ぶ暗闇とドミノに興じる夕方が同居するプエルトリコの庶民の生活、そんな全ての匂いを取り込んだ音なんだと思う。
- 2005/07/10(日) 23:51:17|
- Daddy Yankee
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